名古屋高等裁判所 昭和32年(う)198号 判決
しかしながら原判決挙示の証拠を総合すると、原判示各犯罪事実を充分肯認することができ、各所得から三百万円宛を控除すべきものでないこと及び被告人に各犯意のあつたこと明らかで、記録及び原審が取り調べた証拠を調査しても、右認定に所論のような事実の誤認があるとは認められない。従つて原判決が被告人の判示所為を所得税法第六十九条第一項、第二十六条第三項第三号(原判決に第一項第三号とあるのは誤記であること明らかである)に問擬したのは不当ではない。即ち、
一、所得税法にいわゆる事業所得とはその年中における総収入金額から必要な経費を控除した金額をいい、又右収入金額とはその収入すべき金額の合計金額をいうこと同法に明定するところであり、右収入すべき金額とは収入する権利の確定した金額をいうものと解するのを相当とするから、これに対応する収入金額を得るため必要な経費も又その年中に支出する義務の確定した金額をいうものと解すべきこと当然であつて、このことはあえて所論の法人税法に関する取扱通達第二六五号を援用するまでもないのである。そして今原判決挙示の証拠を総合すると、被告人は昭和二十五年十二月末頃岩崎銀次郎外七名の従業員に対し、「個人経営である自分の合板事業を将来株式会社組織に変更するまでの間、昭和二十六年以降諸君の残業手当、家族手当、賞与などの支給を停止し、定期昇給をも辛棒してもらいたい、そのかわり昭和二十六年分及び昭和二十七年分として各約三百万円程度諸君に配分できると思うから、一生懸命やつてほしい、会社組織とする際それを合算し、各人の希望に従い株式なり、現金なりで支給する、但し誰にいくら支給するかは各人の今後の勤務成績などを勘案してその際定めたいから、それは自分に一任してほしい」旨申し向け、右従業員らの承諾を得、爾来同人らに対しては前記諸手当、賞与などの支給及び定期昇給などの実施をせず、そして昭和二十七年分の所得税の確定申告期限までにも被告人において右各人に対する支給額などの決定をしないのはもとより、その決定の基準をすら定めなかつたことが認められる。して見ると、右申告期限までには右従業員の誰にいくら支給するのか、各人別の区分、支給額、その金員の性質など全く未確定であつたと認めるほかなく、しかも前記証拠によると、右契約は到底いまだ右従業員八名に対し右各年分として正確に三百万円宛を一括支給し、又は同人らに対し三百万円の不可分債務もしくは連帯債務を負担する趣旨であつたとも認められないから、結局右は前記従業員各自に対しそれぞれ金員を支給する約束であつたと認められ、しかも昭和二十六年分及び昭和二十七年分の各所得税の確定申告期限までにはその支払額は確定しなかつたものであるから、従つて被告人はなお前記各従業員に対し合計三百万円宛の確定債務を負担するにいたつていたものということはできないのである。それ故所得税法上は前段説示の理由により右両年分の被告人の収入金額中から右従業員に関する必要経費として各三百万円を控除することはできないのであり、被告人はこの分についても所得として確定申告の上、これに対する所得税を支払う義務があつたものといわなければならない。(この場合、右従業員らが労働基準法その他にもとずきそれぞれ被告人に対し収入金額から控除せらるべき他の債権を有していたかどうかについては、これを認めるに足る何らの資料も、主張もない。従つてこれを斟酌する必要はないものといわなければならない。)そして被告人は叙上の事実を認識しながら、殊更右所得を隠匿し、これに対する税金の支払を免れる目的を以て、従業員岩崎銀次郎に命じ取引高を全部記入しない虚偽の帳簿などを作成させ、これにもとずき原判示のとおり虚偽の確定申告書を作成の上所轄税務署に提出させ、よつて原判示税金の支払を免れ、これを逋脱したことも前記証拠に徴し明らかである。されば被告人は不正の行為により所得税を免れたものとしてこれにつき刑事上の責任を負うべきこというまでもない。被告人が昭和二十八年十月五日にいたつて前記従業員らとの間に覚書を作成し、その後これにもとずき同人らに金員の支払をしたことは本件について国税当局の査察開始後のことに属し、もとより前記認定を妨げるものではなく、その他記録及び原審が取り調べた総ての証拠を充分調査しても、いまだ叙上の認定に所論のような事実の誤認があるものとは認められない。従つて原判決が争点の判断と題する部分において前記認定の契約の存在を認めないかのような説示をしたのは相当ではないけれども、各三百万円を控除すべきものでないとしたのは結論において相当であるから、右誤認は何ら判決に影響を及ぼすものではない。これを要するに結論において叙上と同趣旨に出た原判決は正当であるといわなければならない。
(裁判長判事 吉村国作 判事 柳沢節夫 判事 中浜辰男)